[PR] 看護師 転職 院長の独り言 Steve bikos

湘南で開業している歯科クリニック院長の日々雑感です。

Steve bikos

2016 - 12/20 [Tue] - 06:05

2016年12月18日、「スティーヴ ビコ」仕様にグーグル検索のロゴデザインが変更されました。

steve-bikos

スティーヴ・ビコ(1946年12月18日-1977年9月12日)は 南アフリカの反アパルトヘイト活動家として知られる人物。「黒人意識運動」の代表的活動家です。

1946年12月18日、ケープ州のキングウィリアムズタウン生まれ。4歳の時に父が死に、故郷で初等・中等教育を受けた後、アリスのラブデール研修所に進みました。バントゥー教育省が運営するこの学校には長く留まらず、ナタールのローマ・カトリック・マリアンヒル学校で高等教育を受け、1965年に大学入学資格を得て、1966年にダーバンのナタール大学医学部・非ヨーロッパ人部門に入学しました。同時にNUSAS(南アフリカ全国学生連盟)で活動していましたが、1968年にこれを脱退し、SASO(南アフリカ学生機構)を結成。1969年7月にSASOの初代議長に選出され、1970年7月には広報部長に任命されました。

1970年12月に結婚。1971年以降いっそう政治活動に専心するようになり、1972年半ばにナタール大学の教育課程を修了。ただちにダーバンのBCP(黒人共同体プログラム)のために活動し始めますが、1973年3月初めSASOの7人の指導者とともに活動禁止処分を受けます。郷里のキングウィリアムズタウンに行動を限定され、BCP東ケープ支部を設立し、1975年末にBCPでの活動を禁止する追加条項が加えられるまで活動します。1975年、やがて、テロリズム法第6条により1976年8月から12月まで101日間拘留された後、起訴されないまま釈放されました。1977年1月、BPC(黒人人民会議)の初代名誉議長職に任命されました。1977年8月18日、再びテロリズム法第6条で拘禁され、ポートエリザベスにて警察により拷問を受け、その後プレトリアまで救命措置も受けられず普通の車にて移送されます。

1977年9月12日、移送先のプレトリアで拷問による脳挫傷のため死去。満30歳没。この時警察はハンガー・ストライキによる死亡と偽って公表しました。

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歯科医師になって約30年・・・年月の経つのは早いものです。
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