院長の独り言
神奈川県藤沢市で開業している歯科クリニック院長の日々雑感です。
原爆の日
2008年08月07日 (木) 10:46 | 編集
今日8月7日は立秋です。
まだまだ暑い日が続きますが、暦の上では秋になります。
この日から「暑中見舞い」は「残暑見舞い」になります。

広島に原爆が投下されたのが8月6日、長崎に原爆が投下されたのが8月9日です。
原爆が投下されてから63回目の夏です。
昨日は広島で平和記念式典(原爆死没者慰霊式・平和祈念式)が開催されました。
世界平和を祈念して過去最多の55か国の代表らが次々と慰霊碑に献花しました。
世界で唯一の戦争被爆国の日本人の一人として決して忘れてはならない日のひとつですね。

平和公園 長崎 平和祈念像
昨年学会で長崎を訪れた時、大浦天主堂や平和公園など原爆の犠牲になった施設をみる機会がありました。心が痛みました。
原爆死没者の方々に心から冥福をお祈り申し上げます。

今の若い世代は8月6日や9日、15日が何の日なのか答えられないそうです。
悲惨な出来事を風化させずに、この時期改めて平和について考える機会を設けてみてはいかがでしょうか。
家庭円満の秘訣d(-_^)good!!
2008年08月06日 (水) 08:31 | 編集
「たまに妻がしてくれると嬉しいことランキング」と「たまに夫がしてくれると嬉しいことランキング」が載っていました。
「たまに夫が…」の1位は『料理』、 2位は『掃除』…奥様方の願望って現実的なんですね。
因みに「たまに妻が…」の1位は『感謝してくれること』なんだそうです…
よっぽど感謝されてないと思ってるんですね、巷のダンナさま方(^o^;)
たまには口に出して「いつもありがとう!あ・な・た(^_-)☆」なんて言ってみたら、はりきって料理や掃除してくれちゃうかも(笑)
家庭円満のタネにして下さい d(-_^)good!!

「たまに妻がしてくれると嬉しいことランキング」




「たまに夫がしてくれると嬉しいことランキング」



海外からの看護師受け入れ
2008年08月05日 (火) 10:42 | 編集
看護師
看護師ら200人、6日出発=日本とのEPAで初−インドネシア
2008年8月4日(月)14時56分配信 時事通信
 【ジャカルタ4日時事】日本との経済連携協定(EPA)に基づき初めてインドネシア人看護師と介護福祉士約200人が6日夜、日本に向け出発する。派遣の成否は今後の外国人専門職労働者受け入れの行方にも大きな影響を及ぼすとみられ、日本、インドネシア両国で期待されている。
 今回派遣されるのは看護師、介護福祉士それぞれ104人。男女別では男性77人、女性131人。日本とのEPAでは2年間で計1000人、初年度は最大500人を受け入れることになっていた。しかし、EPA発効から派遣までの準備期間が短かったことなどから、当初予定を大幅に下回った。
 
看護師
人手不足が慢性化している介護分野の人材確保を支援するためとは言え
医療の現場では医師も看護師も介護士もチームワークには完璧な言葉による意思疎通が不可欠で、言葉が不十分な人間が責任ある仕事を安全に効率的に遂行するのは困難だと思います。
臨床現場を知らない人が決めた協定・・・心配です。

インドネシアとの契約内容ではインドネシア人は資格取得後、日本国内の病院や介護施設で就労するのですが、「在留期間上限3年、更新回数制限なし」だそうです。
でも日本にやってくる看護師さんたちは、技術等を学んだら祖国に帰って国の医療に役立ちたいと思っているそうです。
だから長く日本にはいない・・・ようなこと話してました。いったいどうなるんでしょうね?

ある看護師さんの言葉です・・・
「看護は恋愛と同じ、自分にできる無理とできない無理がわかって初めて相手との関係が円滑に行く」
わかっていないと尽くし過ぎて疲れ果てる。そして爆発する。
豪傑
2008年08月04日 (月) 12:29 | 編集
赤塚不二夫
漫画家の赤塚不二夫氏が逝去され、今朝のテレビ番組でも特集を放送していました。
再婚し、闘病を支えた妻、眞知子さんは平成18年に急逝し、前妻、登茂子さんは赤塚氏が息を引き取る3日前に亡くなったそうです。

赤塚不二夫さんが、再婚会見をした時の模様が放送されていましたが・・・
右側には前夫人の登茂子さん、左側には新夫人の眞知子さんと前夫人との間の令嬢りえ子さんを従えての会見でした。

う〜ん・・・豪傑ですね(^o^;)
赤塚不二夫氏逝去
2008年08月03日 (日) 17:25 | 編集
漫画家の赤塚不二夫氏が逝去されました。
赤塚不二夫公認サイト 「これでいいのだ!!」を見ると「おそ松くん」「天才バカボン」「もーれつア太郎」良く読んだマンガで懐かしいです。
赤塚不二夫

ギャグ漫画の天才も平成9年末に食道がんが判明し、12年には急性硬膜下血腫で開頭手術。それでも笑いへの情熱は失われなかった。同年に出版した視覚障害の子供たちのためのギャグ満載点字絵本「よーいどん!」が大ヒット。しかし、14年には、脳内出血で再び手術。16年からは意識不明の状態が続いていた。18年には闘病を支えた妻、眞知子さんが急逝した。

寂しいことです。
本人は「これでいいのだ!!」と言っているのかもしれませんが・・約4年間意識不明の状態だったのですね。
「ビックリ」というよりは「とうとう…」という感じです。
あの世でゆっくり休んでください。
謹んでご冥福をお祈り申し上げます。
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